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2013年8月 8日 (木)

「ガニメデ」58号

 今日は少し時間を取れたので「ガニメデ」58号の斉藤斎藤さん《小歌集一〇〇首詠み下ろし》「広島復興大博覧会展」読了。送っていただいて読めました。ありがとうございます。

 私は斉藤さんのよい理解者ではないという自覚がある。コテコテの保守でありたいと常に思っているので、斉藤さんの歌について歌会以外の場でコメントしたことないと思う。それくらいわからない。わからないことには口を出さない。今回は親切に対する誠意として、現時点で思っていることをメモしてみます(「風通し」の時も何か書こうと思ったのだけど結局まとまらなかった)。

 わからないにもいろんな意味があって、単にわからないと言うつもりはないです(私が本当に正直にものを述べたらおそらくここ30年くらいの「先端」はだいたい理解できてないということになる)。わからないなりに読んでいくなかで、なんとなく斉藤さんのやりたいことってこういうことなのかな?という手触りのようなものは見えていると思う。

 私が読んだ範囲だと、最初に詞書多用の作品読んだのは「るしおる」63号の「今だから、宅間守」で、その時は散文のほうに行くのかもしれないと思った。この時は「何がしたいのかな?」というのが斉藤さんのわからなさだったと思う。斉藤さんはその後、散文にも不定形にも行かず、短歌を書いている。媒体によって制約はあるので、割と普通の連作(に見える)の時もある。私は斉藤さんのこういう詞書多用の連作は理解できるとは言えないけれど、とても意欲的でいいと思っていて、「もっとやれ」と思っているクチです。自分の方法を見つけたら突き進めばいいと思う。

 と、いうのをふまえつつ私はたいした知識もなくこの一連をとりあえず一読。そしてこのメモを書いています。
 過去おきたことの叙事詩のような、未来にひらかれる希望のような一連でした。詞書というか散文詩に歌が埋め込まれているような形式はいつもりどおり。
 おおざっぱに書くと、過去に開催された「広島復興大博覧会展」~原爆~未来に行われる「広島復興大博覧会展」という構成。今回は同じもしくは同じような歌が何度か登場する。もちろん前後の詞書がちがうのでニュアンスは変えられている。長い、非常に凝った作品だと思う。引用も多い。つうか、読むだけでつかれる。長いからという単純な理由と、情報量が多いからという脳みそ的な理由で。
 脳内で斉藤さんの声で再現まではしなくてもいいけど、朗読というか息づかいというかを意識して読むと独特のリズムがあるのがわかると思う。私がわからないなりに斉藤さんを支持するのはリズムと一語一語レベルのていねいさがあるからだと思う。

 末尾の詞書では「わたしたち」が続く。そして最後の一首で「わたし」になる。この最後の「あなた」は誰のなのかはわからない。中ほどに似たような歌が置かれその時は「あなた」ではなく「彼ら」になっている(この「彼ら」は文脈からすると「人的被害」の「彼ら」)。「あなた」は誰なのかはわからないけれど、「わたし」と相対する具体的な存在であるはずだ。そしてその「あなた」より「わたし」は強い。それが希望だと思う。

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